イスラエルとパレスチナ問題 [現代文明]

どんな時も生きる意味がある。
それが死ぬときでも、生きる意味がある。
これが実存だという人もいる。

     *。
殺される時でも、生きる意味がある。

これを超理性=対偶知性で反転してみよう。
人を殺す時でも、生きる意味がある。

*。
死は現存在の存在不可能という可能性である。

これも反転してみよう。
生は現存在の存在可能という可能性である。

*。
これが実存である。
これは絶対矛盾の自己同一化である。

   *。
人を殺す時でも、生きる意味がある。
人に殺される時でも、生きる意味がある。

これらは矛盾である。
だがKleeneの定理で、ここに無矛盾を取り出すことも可能である。
だがそれを証明することは出来ない。

*。
殺すことと殺されること、
これは生と死のパラドックスである。

これを解消することが人間性であり、日常である。

これが人の直面する現実である。

*。
現実とは、生と死のパラドックスを日常に解消することである。
即ち、矛盾から無矛盾を生成できた。

     *。
この対偶は、矛盾を発振させることだ。
そこにはあらゆる可能性がある。

殺すことも殺されることも自由である。

*。
これが現代文明だ。
現代文明は、存在を発振させた。

これは実存や現存在では、把握されない。

*。
これが成長経済を止め、安定経済にする条件だ。

     *。
生きることは、現実においてのみ可能である。

現実とは、生と死のパラドックスを日常に解消することであった。

実存論は、生と死を発振させた。
それは意味不明のパラドックスだ。
即ち、無矛盾の矛盾であった。

*。
現実の精神が人の存在を確定する。

自由と正義は、人間性を発振させ、人の存在を意味不明にする。
これは矛盾そのものである。

*。
自由と正義は、悪党の存在根拠であった。

    *。
これを超えた世界に、
イスラエルとパレスチナ問題がある。

イスラエルとパレスチナのパラドックスの解消が、
人が人であるための問題だ。

*。
これは超理性でないと見えない!
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