お上日本殺人工場 [日本現象]

殺人を記号化、
記号の消費を通した世界経済との差異化、
オリジナル資本主義と秀吉システムとのシミュレーションによる「現実」の消滅。

これがお上日本のポストモダンな消費社会だ。
そこには弱者の過労死・自殺・公害死・無実死刑…が入っている。

秀吉資本主義は、世界が考えているようのものではない。
秀吉こそ、世界を考えている。
秀吉主義は、カニバリズム資本主義を破壊する超エゴイズムだ。
これによって世界を変えるのだ。
これが秀吉免疫だ。

*。
殺人産業は、個々の主体の差異を消し去り、
社会を弱肉強食にすることに成功した。
最早、人々は自己否定の肯定、即ち、殺人を葛藤を覚えることなく、
人間的にことと思い、暖かい幸福だと思い楽しむのだ。

殺人産業はなかった。
殺人こそは、人々が自分自身に抱いている軽蔑以外のないものでもない。

殺人は自分自身への憎しみの反映だ。
自分が好きなら、自分を殺そうとはしない。

自分を殺さず、他人を殺して、殺人を快楽とするのだ。
自分を殺してはそれで終わりだ。
他人を殺せば、それは快楽となる。

       *。
これが否定の肯定だ。

自分殺しが出来ず、他人を殺して、
これを公然と晒すと、
殺人は快楽となる!

*。
すると自殺は、極めて合理的だ。
他人を殺さず、自分を殺せば、人にかける迷惑は最小化する。

すると引きこもりは、殺人美学かもしれない。
自然死の一種だから。

自殺は極めて高効率の生き方だ。
殺人産業は自殺産業に収束するだろう。

強者の手を借りず、早々と死ねば、強欲を殺すことだから。

       *。
これらが超理性の見た世界だ。
成長産業は、結局、自殺産業であった。
それを合理的に達成する自殺だ。

*。
経済成長は、弱者を先に殺し、強者が後に死ぬ、
アホ・バカ・間抜けの三本の矢だった。
阿呆な理性、馬鹿な知性、間抜けな感性の三位一体だ。
それは人文科学、人間宗教、文学のことであった。

これが真善美の終焉だ。

*。
人は日常を生きればいいのに、余計なことをやったもんだ。
経済成長は、殺人産業でしかなかった。
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