金融は その無矛盾を証明できない [現代経済]

文章を無矛盾に作っても、それは現実の無矛盾ではない。

例えば、日本の最高裁判決は、無実死刑を頻出する。
即ち、無矛盾の文章は、現実の無矛盾を意味しない。
お上日本は文章を命としたのだ。
これが言霊だ。

美しい日本と唱えれば、日本は美しくなる。
それに文句を言えば、いじめ殺される。
これが日本の愛国心だ。
愛国心は殺人であることが分かる。
愛国は、異分子の排除でしかない。

*。
生命は文章によって現せない。

これが不立文字である。

     *。
日本愛国を、命とした。
これは屁理屈であり、言い掛かりだ。

これに賛成しないものを、排除することで成り立つ。

*。
これはアメリカにも伝染した。

悪貨は、良貨を駆逐する。
偽円、偽ドルが、世界通貨となり、世界秩序は破壊された。

*。
即ち、文章は生命と同一化した。
これが地獄である。

     *。
金融とは、金と金の同一化である。
金を発振させた。

これで世界は散逸した。

*。
この不安定こそが、金融の拠り所だ。

金融はゼロ・リセットしなければならない。

こに世界貿易が発展したという。
それは権力の殺人と強盗以外の何者でもなかった!

        
     **。
金融と無矛盾に作っても、それは人間世界に無矛盾を意味しなかった。

金融の無矛盾は、人類の矛盾であった。

*。
金融を無矛盾に作っても、その無矛盾は証明できない!

人間には、金融より、生命の多様性が問題だ。
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