日本人の本質 神と殺人の不確定性原理 [日本現象]

日本は神の国というと嫌がられる。
そこで司馬遼太郎は、英雄を神格化し、読み人を共振させ、神の心地にする。
こう考えると、村上春樹の方法と同じことが分かる。
村上春樹は何もしないで、美しい良き心地を読み人に分かち与える。

共通点は、何もしないで=それを読むだけで、
英雄気分になったり、良き心地になる。

*。
何もしない。
ただ読むだけで、英雄にシンクロし、神の心地になれる。

人を神に共振させる。
人は英雄になり、良き心地に溢れる。

     *。
かくして厳しい現実を生きれるようになる。
過労死もいとわず、公害死も問題にしない。

神になると、自分も他人も殺すことが問題でなくなる。

*。
これが太平洋戦争であったろう。
誰もが喜び勇んだ。

殺人が殺人でなくなる。
現実は殺人でも、心地は殺人でなく、いい気持ちだ。

    *。
神と殺人は対偶対称である。

神と殺人は不確定性原理で遮断されている。
気持ちは神人であり、現実は殺人である。

神だけが意識され、殺人は意識されない。

*。
このトリックが二重人格法だ。

それが司馬文学や村上春樹文学だ。

     *。
人が神になると、異物排除は殺人にならない。
これがいじめ殺しの本質だろう。

即ち、妄想に取り付かれたのだ。
妄想の特質は、異物排除であり、
異物排除をしている気持ちがなく、異物排除する。

即ち、二重人格法だ。

*。
これが司馬遼太郎と村上春樹から割り出せれた。

何もしないで、本を読むだけで、美しい良き心地になる。
外に村上春樹の世界文学、内に司馬遼太郎の日本文学。
共通点は、本を読むだけで、良き心地になる。

   *。
これは統合失調症の特質だ。
外部と内部に民族と自己を切り裂く。

外部に偽善の演技をし、内部に欺瞞の演技をする。

*。
人間が切り裂かれた。

これは人類の第二反抗期の特質かもしれない。
これを克服して、人間になるのではないか。

*。
日本はこの実験をしている。
これを克服すば、それが大人だ。

大人になるには、大変が事故事件を起こすのだろう。
日本人は不良の時期にあるのかもしれない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。