仏教は自己否定である [精神現象]

無私は人間か人間でないか。
決定不能。

無私は自分を殺すことである。
こういう人は、他人の布施で生きなければならない。

それは人を上の目線で、人を見下すことである。
だから尊敬される。

そういう人は、人間なのだろうか。
少なくも、市民の生活は知らない。

そういう人には何が出来るか。
人の心の安らかに共振することは、人間性を破壊することである。
そこに悪党がのさばる。
それは社会を壊すことである。

       *。
仏教は自己否定の肯定であり、それは社会の悪党化である。
その世界は、暴力と殺人に溢れている。

そこで心を安らかにする。

即ち、自己否定の肯定である。
それは人間破壊である。
それが暴力と殺人のお上体制である。

*。
そこに司馬遼太郎や村上春樹の文学がある。
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