仏教は反面教師である [日本現象]

仏教は反面教師であり、やってはいけないことをやって見せた。

だが対偶対象性を知らない東洋は、それを真に受けた。
東洋人はアスペルガー症候群であった。
仏教を本気にしてしまった。

それが葬式仏教だ。
死人からお布施を取る。

死んでくれないと困るのだ。
聖徳太子の和の思想は、秀吉の殺人を導いた。

        *。
秀吉のお触書。
秀吉の気に入らぬ人は打ち首の死罪である。

ある村に盗人が入った。
村人はこれを殺した。

これを怒った秀吉は、村の代表者数名を打ち首にした。

*。
これが秀吉の秩序である。
これはお上に言いなりになれとなっている。

そうしないと殺されるのだ。

今の日本もそのままだ!

        *。
お上に人柱を捧げることで、庶民は生きられる。

人柱は、過労死・無実死刑・繰り返される水俣大虐殺・いじめ殺し・自殺・餓死…である。
これが孤独感・無力感・寂寥感・喪失感・不安感となり、
これに耐えることが日本人の生き方となっている。

即ち、お上のいじめ殺しに、日本は存在する。

*。
和は空気である。
即ち、和はいじめ殺しである。

これに感染しないと日本人になれない。

*。
仏教は反面教師である。

だが日本人は対偶対称性を知らない。
土壷に嵌ったメダカである。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。