神の試練 [精神現象]

神を信じれば信じるほど、神の試練に会う。
ヨブの問題だ。

信じれば信じるほど、
即ち、信じることが二つあり、ゲーデルの不完全性定理で証明不能だ。

或いは、信じることを信じれば、それは発振であり、解決不能にすることだ。

*。
神の試練とは、嘘や妄想であった。
妄想だから、試練を排除し、決定不能にする。

自己否定の肯定であり、自己破壊だ。

   *。
どんな試練も克服するためにある。

それでもイエスといおう。
ビクトール・フランクルの考えだ。

*。
だが試練の試練は、発振であり、ゲーデルの不完全性定理で証明不能だ。

どんな試練も克服するためにある。
それを試練とするとおかしくなる。

自分への試練を除く、すべての試練に自分への試練は入るか。
だんだんおかしくなってくる!

      *。
対偶対称理論を使うと、
試練にイエスといったことが、殺人国家イスラエルを生んだのではないか。

*。
紫式部思想を使うと、
立身出世を求めないことが、初期条件として設定される。

成功物語は、地獄の作り方であった。
現実がそれを立証している。

*。
繁栄は長寿を求めると、とんでもないことが起きる。
対偶対称で考えれば、その逆の世界が生まれる。

成功物語は、発振であった。

    *。
成功や幸福は、悪魔のお菓子であった。
悪魔地獄に人類は釣られた。

*。
日本も試練に会っている。

これを試練と考えることは、悪魔のお菓子と食べることだ。
いろいろあることの一つ、
これが平常心というのかもしれない。

       *。
家族を失い、すべてを失い、借金だけが残った。
孤児になった人もいる。

それでも死ねない。

これが生きるということなのだろうか。

*。
死の対称は生である。
生の対称は死である。

それが「普通」のことなのだろうか。

*。
誰もが家族によってまれ、
死ぬときは、一人である。

これが人の原点なのだろうか。
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