共同幻想は大政翼賛会である [現代文明]

共同幻想は、国家主体の中に、自我を依存させたことだ。

自我を得た解放感と躍動感、それは世界と連動していた。
実存はスターリンを消費し、現存在はヒトラーを記号として消費した。
日本は自我を消費して、それが消費文化の言い換えだ。

共同幻想は、自我の消費であった。

皆それぞれ消費文化であった。
それは人間を消費した。

ここに荒廃した人々が生まれた。

        *。
生産と消費はゼロサムである。

国家権力だけが栄えた。
それは人を消費する立場であったからだ。

*。
消費文化は、人を消費することだ。

強欲だけが栄えた。
エリートを貴族化した。

      *。
消費文化は、人の人格の差異を消し去り、消費を社会機能に変換した。

消費主義の必然性は、
消費主義自身の実践にあり、
民主主義や資本主義が規制するところではない。

*。
世界はグローバリゼーションと称し、人の消費化に人類を完結した。

人の存在を、人の実存の問題に還元し、
人間性を問わない、生産と消費人間を作り出した。

それを実存といったのだ。

*。
これが共同幻想であり、それは人類のイデオロギーである。

     *。
これが人類の閉塞感であり、この脱出が紫式部思想だ。

普通に生きることほど強い世界はない。

*。
夢や希望を生きると、仮想現実に釣られ、現実否認となる。
それは人の生きる場所ではなかった。

人間否定の人類肯定、この罠に嵌った。

これが悪魔のお菓子であった。
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