創造と日常

誰でも日常生活するが、知的生活では、創造と日常が分離した。

創造や進化を担う人と、日常生活者は不確定性原理で遮断されている。

日本で言う評論は、知的生活の改善であり、創造ではない。
これは学習であり、世界創造の段階に移行した。
これで評論は不必要となった。

       *。
人類を進化させることが、創造である。

お上日本には創造はありえなかった。
創造はジグソー偏差値では出来ない。

*。
これが原発事故で、世界に露呈した。
お上日本には、思考能力が無かった。

答えが分かっている問題を解くのは、思考ではない。
思考には、創造と日常の2モードがあるといった方がいい。

これはKleeneの定理で、識別は出来ない。
だが存在している。

      *。
最先端の思考は創造であり、ジグソー偏差値に対応できることではなかった。
カイゼンにも、創造的と日常的の2モードがある。

高度技術の思考は、創造であり、
創造には、高度思考と通常思考がある。

創造進化の思考と、高度システムの問題解決はレベルが異なる。

*。
これは基本波と高調波の問題でもある。

例えば、日本の殺人は国家の基本波であるが、
ヨーロッパの殺人は、高調波である。

ジグソー偏差値にはこれを知ることが出来ない。

       *。
原発事故で、日本はジグソー偏差値を使う他なかった。
お上日本にはそれしかなかったからだ。

つまり、何行っているのか分からない。

*。
これがお上偏差値である。

ただやるだけ。
警察も裁判もお前が犯人だと、押し切るだけだ。

判断や決定能力が無い。

*。
原発事故で、これをやり、世界の笑いを買った。
だがその意味が分からない!

自分の愚かを知ることは、西欧だって容易に出来ることではない。
基本波と高調波の違いを分らないと分からないことだ。
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