統合失調症は無私である [精神現象]

統合失調症にも良いモードと悪いモードがある。
だが統合失調症が重なるので、区別が出来ない。

例えばドストエフスキーは統合失調症であったが、
それを無私に使い、人類に多くの英知を与えた。
だがやはり自己同一性の病にかかっていた。

通常の社会では、統合失調症でない方が良いとされる。
だがこれでは、社会自身を知ることがない。

*。
ドストエフスキーは、統合失調症になることで、無私を生きた。
そこには通常見えない世界が見えた。
だがそれは統合失調症であるから見えたのだ。

*。
だが人が皆世の中に言う正常なら、自分自身は見えない。
正常というのも、病の一種であることが分かる。

これらは組み合わさって、世界が見える。
正常だけでは、世界は見えない。

日本人の言う正常は、異常であることが分かる。

     *。
日本人は正常という病に罹っているのだ!
それは自分で見えない。
だから病であり、自分がないのだ。

即ち、日本人の世界は、嘘や妄想である。
それが分かりようのない世界に入っている!

*。
だがクール・ジャパンはこの病に罹っていない。
だから外部から、日本は素晴らしく見えるのだ。

*。
統合失調症に掛からないためには、
「立身出世を望まない、金を望まない」ことが必要だ。
即ち、皆で繋がり=安定を生きることだ。

これが「普通」の精神だ。
これが最適エントロピーだ。

        *。
クール・ジャパンは「普通」として、無私であった。
これは高度な精神の世界だ。

クール・ジャパンは「普通」の人が、高度の精神を生きていた!
それが外部には素晴らしいことになる。

自分たちは、素晴らしいと思っていない。
普通だから。

*。
このようにして、パラドックスの解消問題を生きていた。
これがクール・ジャパンだ。

クール・ジャパンは誰もが紫式部であった。
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