喜怒哀楽の真偽 [精神現象]

Kleeneの定理によって、喜びにも真偽がある。
それは言葉では区別されない。
だが人の命はそれを識別する。

人の命は、突き詰めると、日本人であり、自分であることだ。

       *。
世界と日本はパラドックスになっている。

日本人は体が小さく、足は曲がっている。
髪の毛は黒く、華やかさはない。

これを劣等感にしてしまうやり方と、これで柔道するやり方がある。

*。
吉田都さんも藤村美穂子さんも、
日本人であり、自分であることに立ち、背負い投げ一本をとった。

日本人である自分を生かし切った。

*。
ここに本当の喜び、真実の楽しさが生まれた。
藤村美穂子さんは進化途上の人だから、喜びや楽しみを口にしない。

踊りや歌に、日本人と自分を解放した。
それは日本人や自分でないと出来ないことだ。

日本民族解放戦線がある!

       *。
喜びや楽しみにも、リアル階型とメタ階型があった。

生まれながらある喜びと楽しみ、
究極の日本と自分が作る喜びと楽しみは違っていた。

*。
テレビや本で得られる喜びや楽しみはリアル階型だ。
エリートである喜びや楽しみは、偽である。

これは本当の喜びや楽しみではなかった!

*。
消費の喜びや楽しみは、偽の喜びであった!

日本は偽の世界に引っ掛かった!
真の喜びは想定外にしたのだ。

      *。
これが原発テロだ。
これが自殺だ。

日本人は神のダブル・バインドに絞め殺された!

*。
愛国日本は、神の侮辱である。

日本が神となったのだ。
従って、神に殺された!

*。
神と日本のパラドックスを発振させたのだ。
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