Kleeneの定理 良心は言葉で書けない [精神現象]

原発賛成派は一流大学教授、反対派は評論家。
何を意味するのだろう。

命や良心は、言葉で書けない。

*。
言葉で書いた小説・物語、国家や経済や法律は、良心をを殺していた。

言葉こそ悪魔のお菓子である。

     *。
言葉で良心を書けるか、書けないか。

もし言葉で書けるなら、それを証明することが出来る。
もし書けないなら、それを証明することが出来る。

*。
言葉で良心を書くことは、無矛盾である。

しかしその無矛盾性は証明されない。
何故なら、もし無矛盾ならそれを証明できる。
もし矛盾するなら、それを証明できる。

*。
これらの文章は矛盾している。

言葉で書いたものには、生命や良心は存在しない。
それは死体の世界である。

悪魔は人の命を殺して、地獄を作った。

     *。
国家や小説は、悪魔のお菓子であった。
これを食べると、死体の悪魔地獄に釣られる。

*。
だが証明できないことに、人の良心は存在する。

人の命や良心は、証明できないが、存在する。

*。
国家や小説でも、良心がある場合がある。
それは言葉で示せない。

これがKleeneの定理である。

     *。
多数決で決定した国家や小説は、異物排除のファシズムである。

これが死体の美学である。

*。
原発や環境破壊に、正しいものと間違っているものがあるか。
即ち、矛盾の中に、正誤があるか。

それが反対排除に成立するなら、それは嘘や妄想でしかない。

*。
これがKleeneの定理だ。
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